KCC for OB

慶応クルージングクラブOB会

Month: 9月 2015

新企画Ⅱ OB同期紹介 第一弾《06年卒》!

06年卒 同期紹介           

                          2006年卒 金子直城

 

KCC 06年卒は当時の世代には珍しく、女子部員がいるところからスタートした。が、はじめ6人であったメンバーは諸般の都合により徐々に減り、結果残ったのは3名である。

2年の時にはホープ吉村を失い1つ下の代を穴あきにしてしまう。

が、その後OB、他大、先輩のサポートを受けながらなんとか方向を修正。

自分たち自身も途中で穴あけ期間があったりなかったりしながらなんとか支え合い卒業までこぎ着ける。4年を迎える時には、藤本を始め各世代にキーパーソンを擁しながら次の世代にタスキを渡す事ができた。

 

<氏名/学部/KCCでの役割>

金子直城/総合政策学部/主将・学連

須田侑子/環境情報学部/副将・艇体管理

飯田晶子/環境情報学部/会計・OB

 

現役時代。後列右から飯田、須田。最前列に金子。

06①

 

 

【金子直城】

KCC引退後は、元々やってみたかったボクシングジムに入り、卒業まで汗を流す。卒業後、愛知県の自動車メーカーに勤務。入社以来、生産管理部門で業務を行ってきたが、現場での業務がありながらも基本はデスクワーク。当時と比較すると、ボクシングで身体を絞った反動もあり、卒業時点より+15kg。メタボ化も待ったなしの状況である。最近はランニングを初めてダイエットに奮起しているが、逆にご飯がおいしくなり更に体重が増える悪循環の中で戦っている。

たまにヨットで海に出る夢を見ては現実に戻り、ゴルフバックを背負って家を出る、そんな日々。いつかまた海に出たいという気持ちをうっすら感じながら、地に足のついた日常の繰り返しが続いていく。

北海道での一コマ。光と陰、陰と陽、体重の増と減は表裏一体である。

金子氏

 

【須田侑子】

卒業後、政府系金融機関に就職し、金融システム調査・研究やリレーションシップマネジャー、経営企画調査、トレーディングを7年間に亘って経験した。その後、渡米し、コーチおよび営業として、コーチングファームに勤務。本年4月に帰国し、6月からは、外資系金融会社にて、海外投資ファンドのサービシングに携わっている。

現在の勤務地が、海の神様で知られる金刀比羅宮分社の敷地内にあるビル、と、海の御縁を感じている。ヨットは、KCCフェスタなど年一回乗れるか乗れないか…という年が続いているが、そのうち、海の傍に家を持つか、自分の船を持ちたいと思っている。

06③

 

【飯田晶子】

卒業後、大学院に進学。都市計画・まちづくりを学ぶ。現在は、慶應大学から国立大学に異動し、助教として研究を続ける。卒業後、ヨットに乗ることはめったになくなったが、沖縄県の八重山諸島やパラオ共和国での研究活動を通じて、海は今でも身近な存在である。研究の対象地として、海に囲まれた離島を選んだのは、大学時代ネオパトスで各地を巡った4年間の経験が影響していると感じる。

06④

 

パラオ共和国での調査の一コマ。左から二番目が飯田

 

 

新企画Ⅰ OB艇紹介 第一弾《ハッチャー》!                 

 《 ハッチャー 》 1966年卒業メンバーを中心に上下3代

                           1966卒・馬渡健治 

生い立ちから・・

バカンチェスキー グループの結成

1966年KCC卒業を中心に、上下3代でグループを作り、クルーザーを持とうじゃないかということを決めた。1970年、名古屋でバンデスタッド設計の23フィート合板艇を自作していた人(チタグループ)がハルを完成したところで製作を中止し譲渡したいという話が入ってきた。

「わたりにふね」ということで、鳥羽の作業場に現物を見に行ったところしっかりできていたので購入することとし、横浜の岡本造船に運びこみ、岡本造船の助けを借りながら、デッキ張り、FRPカバーリング、内装(ほとんどなにも無し)、艤装などを自分たちで行い約1年がかりで完成、1972年3月進水、「Buccantcheskii」と命名した。

馬渡氏①

バンデシュタッド23 BUCCANTCHESKII

 

 

馬渡氏② 

進水式 1972.3月

馬渡氏③

船底FRPライニング後のパテ付、サンディング

馬渡氏④

[祝詞]をささげる183先生

このモデルは1963年のYachting Word誌の小型クルーザーOne of a Kind レガッタでも評価が高かった艇(通称バッカニア、現在に至っても新艇を建造するファンあり)で、スリム(7.3mx2.0m)な軽量艇でセールトリムに敏感に反応し、微風、強風、追い風で大型艇を抜き去ることもしばしば、しかし常に集中していないとスピードが落ちるので疲れることおびただしく、鳥羽レースでも途中までは絶好のポジションをキープしていたがそこまでといった具合で、レース成績はまあまあであった。

艇名のBaccantcheskiiは当時出現した水中翼船「バカンス号」、船種「バッカニア」をもじって「バカンチェスキー」とロシア語風に命名、みなさんからバカでチョンボでスキモノの「バカチョン」号と揶揄されました。

 

係留は諸磯、同時にKCC現役艇の係留権を獲得した。現在も諸磯にVaccantcheskiiとしてHatcher外郭仲間が係留。

メンバー:岩片(65年卒)、大澤、井上、小田原、金行、太田、馬渡、勅使河原(以上66年)、須賀、大森、中村(以上67年) 特別参加:伊集院紘

 

 

ハッチャー 購入 小網代へ

在日米国人MR. Richard L. Hatcherと知り合いになった小田原が、1972年5月Hatcher氏が所有し小網代に係留していたモーターボート(34フィート)「はっちゃん号」の共同オーナーとなり、Hatcher氏が帰国したことにより、小網代の係留権を継承した。

馬渡氏⑤

Hatcher氏所有モーターボート。いすゞのトラックエンジン100PS、クラッチ付。

 

Buccantcheskiiは面白い艇であったがメンバー全員が乗るには小さく、もっと楽な艇を求める声も強くなったので、1975年にDUFOR30「アルページュ」(東レがノックダウンで製造した艇)を購入し、モーターボートに代えて小網代に係留した。艇名は係留権引継ぎをスムースに進める為変更なしとし「はっちゃん」で申請したが手違いで『ハッチャー』になった。

アルページュは、ハーフトンカップのウィナーであり、1974年に太平洋横断シングルハンドレースで完走した名艇で、その美しいワイングラスセクションのライン図は、戸田孝昭氏の名著「線形と線図」にもお手本として取り上げられている。

卒業して約10年、家族の増えたメンバーも多く、活動はクルージング中心となった。とにかく夏休みになるとまず手の空いたものが下田まで回航する、そして下田をベースに新島、式根島或いは中木、雲見、仁科、田子など西伊豆に毎年クルージングを楽しんだ。1991年には念願の[千貫門]くぐりも記録した。(後輩には勧めません)

メンバーの子供にはこの艇育ちが多い。大澤美紀(ハッチャーと同じ1975年生れ)、大澤光正、金行美和、小田原慎、馬渡千波、馬渡志帆達で、彼らや彼女たち一家が現在は重要クルーメンバー兼介護ヘルパーとなっている。最近は孫の代も参加、年齢差60歳でKCCレースに参加している

馬渡氏⑥

馬渡氏⑦

馬渡氏⑧

1991年 西伊豆 千貫門くぐり         上下両方にワッチが必要

 

 

馬渡氏⑨

2代目ハッチャー  デュフォー30 アルページュ馬渡氏⑩

ミスフランスのこんな船型です

 

馬渡氏⑪1978年ごろ

馬渡氏⑫  コクピットで宴会 1981年

 

 

アイランドパケット32

2003年、2代目『ハッチャー』もオーナー達も高齢化し、自分たちは若返れないが艇は若返り可能と代替えが検討された。そこで見つかったのが現在の3代目、米国製アイランドパケット32、1992年生れの中古艇であったが、値段も手ごろで、なんといっても居住性抜群!!! 風が無ければエンジン、のぼりは機帆走、泊まれば宴会という遊び方には最適ということで購入。セーリングパフォーマンスに不満の声がたまにあったりするが、なんといってもクルージングが楽で、皆齢を顧みずクルージングを楽しんでいる。

強風での居住性は抜群、他艇に比べかぶらない、ブローチングしない、リーフは一番最後、ビニトップ&ドジャーで日焼けしない、豪雨でも濡れないがウリですが、アメリカサイズの苦労も、メンスルのピークが高くにシャックルがつけられない、コックピットで反対側に足が届かない、キャビンで掴まるところが高く・遠く這い這い移動、冷蔵庫も奥まで手が届かないなど、など。

 

現Hatcherのクルーズ記録は、

2005年 下田・神津島・新島

2006年 五カ所・志摩ヨットハーバー 久々の遠州越え

2007年 下田・式根島・新島

2008年 下田・安良里・妻良・下田お祭り

2009年 新島・三宅島

2010年 式根島(吹き江・野伏)・三宅島・八丈島

馬渡氏⑬

 

八丈島 神湊港

馬渡氏⑭

街中に咲くブーゲンビリアが綺麗だった

2011年 大島(野増)・式根島・下田・伊東

2012年以降はメンバーが減ってしまったので自粛モード、でも2013年には鋸山登山と体力テストを行った。

 

馬渡氏⑮

ミスアメリカの血筋 Island Packet 32

 

今日のメンバー

グループ結成時のメンバーの内すでに4名(太田、小田原、金行デンチュウ、伊集院紘)、押しかけクルーの形山ラッコが先に川を渡って冥途クルーズに行ってしまったが、各家族も含めてにぎやかなメンバー構成になっている。

岩片卓夫(ほら吹きどんどん 英語塾の先生)・美冶子

大澤浩吉(マルコポーロ船主 昔チビタ今大澤P・おとうさん)・輝美・美紀(長女:岡田美紀=ねぶた)・光正(セール屋さん)・涼子・雄帆(孫 ジュニアセーラー、バレーダンサー)

浅枝 幹雄(956 クマゴロー)

井上詔三(183=イヤミせんせい、今でも大学の教授)

金行陽子・美和(福田美和=ハエトリーナ)・福田亨・りょう、ゆう(チャンチャンバラ兄弟、ラガーマン)

小田原和歌子(ワッコさん、元BAのチーフCA・慎(電通ヨット部)

馬渡健治(グズケン)・千波(長女、六角千波)・六角祐一(コンサルタント・ばいきんマン)・六角帆花(孫)・馬渡志帆(次女、エステティシャン)

須賀光一郎(昔はサンスケ、今スーさん シーボニアマンションオーナー)

大森孝成(昔からタロー、優秀なバウマン)

四元俊郎(押しかけクルーから現在メンバー、若干60歳、働き者、KYCお祭り委員長)

合計11ファミリー、総勢24名の大世帯です。KYC(小網代ヨットクラブ)夏まつり(今年2015年は、8月22日、にみんな集まります。

 

ハッチャーのレシピ

昔から艇内で食事を作り、泊まる習慣なので、食事のメニューも豊富です。

カルボナーラ丼、セロリジャコまぜご飯、トマトチャーハン、からすみスパゲティー、コールスロー、ブイヤベースなど、など

でも一番の絶品は「クサヤ納豆めし」につきます。このクサヤは新島の老舗「菊孫商店」新島本村3-1-2 04992-5-0052 のムロに限ります。

 

バミー族(Hatcherに集まる ウワバミのバミー女族)

どうゆうわけかバミー族が酒と料理のにおいを察し襲来します。夜行性、朝から焼酎、時折ウワバミ状態での返品に苦労します。

新福朋子(大澤美紀同級生・PUKU、バミー族長)

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