KCC for OB

慶応クルージングクラブOB会

Category: Cruising・Race (page 2 of 2)

Donbra-go出帆の記

Donbra-Go出帆の記

1972年卒 吉川誠一

 

乗艇メンバー  ・須賀光一郎(67)・伊藤英二(70)・樫田善太郎(70)・遠藤隆(71)・岩崎均(72)・岩田裕士(72)・吉川誠一(72)・鈴木春仁(72)・辰巳豊(73)・和田順一(77) *卒年順

 

油壺諸磯出港までのあわただしさ、 私は7月27日の出港スタートをみんなに伝えていました。しかし、それまでにこの船に乗ったのは試乗の1時間ぐらいでした。

25日に売主が下架しておいてくださり、26日岩田が船に行き買い出しその他、燃料を満タンにし風速計のセットをABSに頼んだ。27日風速計完成したものの、燃料漏れをタンクに発見、翌日一日がかりでABSが修理。

29日スタートと決定。

夜は走らないルールを作り、できれば昼食は到着地でということも希望ルール。

航海予定は 私がたてたのは、8月10日串本、25日マリンピアむさし着だけでしたが、心強い助っ人磯野君が綿密なスケジュールを送ってくれる。今回のほとんどの航程はそれに従っています。

紀州での 三山、古道散策など思い描いていたことはできませんでした。これは今回の目的の1つでした。2つ目に瀬戸内しまめぐりと美術館めぐり。

多度津到着後すぐに丸亀へ。猪熊弦一郎美術館で鈴木と待ち合わせ。此処も空振りにちかかった。主要な作品群は地方展へ出張中。それでも数点展示の猪熊作品はすばらしい。

翌日は金毘羅参り。ここで大発見 高橋由一美術館。私だけ入館して、ひとりだけで 観賞。ほかだれもいない。多くの人が金毘羅詣でで ここを素通りするのはもったいない。もっとアナウンスをしてほしい。

この2館のまえに直島の地中美術館、近代美術は捉えるところが少しちがう。

瀬戸内には 笠岡の日本画家・小野竹喬(ちっきょう)
https://www.city.kasaoka.okayama.jp/site/museum
倉敷大原美術館、岡山にもいくつもMuseumがある。魅力的。

 

7/29(火)油壺~下田 47mile

諸磯7時ごろ出港。遠藤さんは久しぶりのヨットのはずです。

樫田さんの位置情報共有のアイデアは私のIT知識不足でできず。

WiFiは出港後一時間で役立たずに。

下田でガンが下りて、辰巳が加わる。

 

7/30(水)下田~福田(ふくで)57mile

途中シイラヒット。写真をメールすると、すぐに樫田さんから「見つかると罰金五十万円」と注意メール来る。即リリース。福田を視認するまでが大変。全員初めてで砂丘のなかの港でした。台風12号の心配が始まる。

辰巳さん2

駿河湾を渡る  まっさらのニュージブセール

辰巳さん 1

近づかないと解りにくいが、南が吹いてなければ楽に入港出来る。

ナイト入れずに遠州越えが出来ます。松崎先輩に情報を頂いた。

 

辰巳さん3

悩む名人   セールの名人もPCには弱い。何時海に捨てるのではないかとハラハラ。
遠州福田港。歩いて15分の「おせん食堂」で腹ペコ小僧どもは、女将の夜の酒のあてまで無理矢理奪って平らげてしまう。

福田は、南のうねりがあると入港は怖い。注意が必要ですが、遠州灘を帆走るには良い寄港地。おすすめです。が、何もない。やっと一軒の食堂を見つける。

 

7/31(木)福田~鳥羽 55mile

辰巳さん4

鳥羽へ   順風に快走なれど、ほぼ直角にクロスする伊良子水道の本船を交わすのに一苦労。

 神島を横に見たころからリーチングで帆走、気分良く鳥羽本浦着。

このあたりの情報は 中村さんにお聞きしました。遠藤さん、ちびさん此処で下船。

オフシーズンの焼きカキ屋の桟橋に繋留。バス停まで10分。お店も無い所。

翌日、急遽、和田君が助っ人にくることに。

この3日間で、私が仕事をするために準備をしていたWiFiとタブレットは役立たずと判明。下田でDocomo Xiを契約、アンドロイドは必要なサイトが開かず鳥羽、ヤマダ電機へ 最安値のPCを購入。

 

8/1(金)鳥羽 Stay

辰巳君旧知人の案内でお伊勢詣。遷宮の済んだ内宮へ。途中、赤福本店で八朔粟餅発見。その後、萬金丹本舗の旧店見学。

和田を迎えに本浦へ。

台風11,12号が気になる。

 

8/2(土)鳥羽~五ヶ所 35mile

07:00鳥羽本浦出港。安乗崎沖でイルカ型浮き袋が漂流しているのを発見。

辰巳さん5

大王崎   吹き上がって来たのでリーフ

大王崎をかわすと五ヶ所までは20ノットの真上りでした。

風も良くクローズで布施田水道の入口を目指す。航路案内とデプス、頼りないコンパスを順番に見ながら機走に切り替え、安全運転。

無事通過、波切を右に前方五か所湾口確認。志摩ヨットハーバーへ入港。

 

8/3(日)五ヶ所~九鬼浦 33mile

06:55五ヶ所発。九鬼水軍の本拠地、九鬼浦を目指す。途中オートパイロット故障の前兆あり。13:00九鬼浦着。

辰巳さん6

 

昔のばか話をしてはしゃぐ和田氏

 

辰巳さん7

九鬼の港   深くて静かだが、風呂が無いのに困った。
無人駅の水道で全裸で行水していたら
保線要員がやって来て危うく逮捕されるとこだった。

和田の現役時のここでの大失敗の話がでる。野生の岩牡蠣にあたる。普通、あっても食うか?くわないだろう。

スーパー・ナカクニで買出し。和菓子の錦花堂で九鬼水軍「虎の巻」と浜千商店で干物を購入。風呂にありつけず、民家の水道を借りて水浴び汗を流す。

以上、九鬼の三店、干物を買い、焼き網を買い、デザート買って船で食事。

 

8/4(月)九鬼浦~五ヶ所 33mile

05:30九鬼浦発11:55五ヶ所着。台風避難。

昨夜11号台風避難を何処でするか考えた。勝浦でやり過ごすことも選択肢にはあったが 五ヶ所に引きかえすことに決めた。

辰巳さん8

五ヶ所へUターン   折角南下したのに台風には勝てません。

五ヶ所湾は真ランでのセーリング入港。
ジャイブ、ジャイブで久しぶりに緊張。

辰巳さん9

どしゃ降り   VOCに無事にもやいを取ったところで大雨。離れていても台風のパワーは凄い。

九鬼を出港しオーパイをオンにすると無反応、何回かオン、オフをくりかえすが反応なし。志摩ヨットハーバー入港後、ハーバーマスターの岡さんに見ていただくと、もうつかえないとの結論。しばらく考えたのち 翌日、新オートパイロットを発注。

和田は帰京。

 

8/5(火)五ヶ所

これでもかというほど、ありったけのロープでDonbra-Goをポンツーンに固定。ジブはおろして船内に。これですることが無くなったので、今後の予定が決まっている辰巳を残して吉川は葉山へいったん引き揚げる。

辰巳さん10

台風対策   台風からの猛烈な熱風の中、裸になって増しもやい。

これだけ固めれば大丈夫でしょう。
ところが、この時の作業が後でとんでもない事に。

8/6(水)五ヶ所

辰巳さん11

緊急にゅういん   台風避難で皆さん一時帰京。残された私は灼熱地獄の船中で寝る。

夜中に急に吐き気と脂汗。朝一番で、ハーバーの方に薦められた小さな病院へ。はい、「直ぐに入院してください」まずは点滴3時間。背中の日焼けから来た熱中症。何にも無い南伊勢町で一夜を過ごす。

   たつみ ゆたか

 

8/10(日)五ヶ所

11号の影響で新幹線が遅れる天候でも、 岩田・吉川は五ヶ所へ向かう。

近鉄特急は運転してなく、JRで伊勢へ。五ヶ所には午後遅く着く。

 

8/11(月)五ヶ所

二人で手分けして、オートパイロットのセットをする。緻密な岩田がいなかったら一日ではできなかったと思う。

これで12日の再スタートができそう。

 

8/12(火)五ヶ所~二木島 40mile

オーパイ絶好調。 三木浦を覘いてから二木島湾へ。此処は農協のマーケット、ガススタンドがあるだけ。50L給油。水は豊富なところ。トイレはきれい。酒はひと山越えないと買えない。晩飯はレトルトのカレーを食したが、今思うと、あの水でソーメンを食ったらよかったなと思う。残念。

 

8/13(水)二木島~串本 37mile

途中、大謀網に捕まりそうになる。少し手前で気がついて良かった。

オーパイまかせで、ワッチ不足、舵をひいていれば 自然と周りをみるがオーパイドライバーはそんなことしてくれません。

串本入港時大雨、あと30分遅く降りだせばぬれずにすんだのに。

伊藤英二さん、ガンタクルーのまるさんと串本で合流。

お盆にしか休みの取れない英二さんは前もって岡山行きの新幹線を予約していましたが、台風11号のせいでスケジュールがずれたため、急遽チケットの取り直しを余儀なくされました。帰省ラッシュの中、幸運にも最後の一枚の指定席をゲットし無事串本に辿り着きました。

串本温泉は 効能書きどおりに良い温泉。2か月ほど右肩関節の痛みに悩まされていたけれど この温泉につかったとたん痛みが消えた。このあと 2日ほど肩の痛みが楽だった。10分の温泉では 完治はむりか!

串本駅近くの和菓子屋 とてもおいしいお菓子があります(和三盆糖でのメレンゲ

風)。生菓子には、お客が次から次とひっきりなし。

 

8/14(木)串本~田辺 40mile

串本6時出港。潮岬の黒潮は向かい潮が5ノット。油壺でお金をかけたエンジンで機走するが対地で1.2~1.7ノット。2時間かかって潮岬をかわすころから南東の風25~30ノットでセーリング。流木多数。台風通過後で要注意。

英二さんのDonbra-Goに乗るという一念が、最後の指定席券と潮岬以降の順風をもたらしHappy Sailingが実現しました。みなさん船に乗りましょう!乗らなければHappy Sailingは味わえません!

田辺入港。タイガーマリーナはボートでいっぱい。入港を断られ、隣の漁港へ。

お盆で市場は静か。タクシーで風呂屋へ。運転手さんお薦めの「銀ちろ」は満席で、近くの「千成」で夕食。全員満足して船に戻る。

 

8/15(金)田辺~淡路福良 52mile

日の岬より北側は海上衝突予防法適用区域と海図にあり。本船同士のミート。よけ方が迫力満点。

田辺~福良間はフリー順風のセーリング30ノット近くまで吹いた。Donbra-Goの帆走性能を確認できた2日間でした。

福良漁港にとめる。岸壁が階段状になっていて、潮があげると船が心配。町は山の上、人形浄瑠璃に関すること見聞きしたかったが 時間がなかった。

お盆の書き入れ時で超多忙の磯野君が、夜遅く赤穂より車で来る。ピオーネ種の葡萄とワイン、ブルーシートの差し入れ。

磯野君は、英二さんに自分の船の楽しみ方や自身の会社経営についての意気込みを話していました。英二さんは 磯野君のことを 事業人として、KCC後輩として、高く評価しておりました。若い息吹、心意気が伝わる彼の話でした。素晴らしい後輩です。

そしてこの夜、さっそくブルーシートの出番、夜中に突風と雨、コックピットでは、岩田と磯野君が寝ていました。あわててシートをひろげて日よけの上から雨よけを重ね、もうひと眠りでした。

朝5時だったと記憶している。磯野君起床あわただしくかえる。

稼ぎ時に遅刻、ましてやヨットで遊ぶなど社員の士気にかかわる。

がんばれ 磯野!

 

8/16(土)淡路福良~直島 40mile

潮どまり7:00~7:30の鳴門海峡を何事もなく通過。本船航路にしたがって直島方向へ機走、直島近くで少し風があり セイリング。クローズなので本船とミートよけるのが面倒。

入港に際し港口手前0.5マイルぐらいのところに赤と青灯台2け。 チャートにはロックのマーク。 赤と青は、私入港灯と勘違いしました。どうかわすのかわからなかった。結局はフェリーが通ったところをついて行き無事直島入港とおもいきや、入ったところは地元船専用の船だまり、予約してある係留場所は反対側の通船用の浮き桟橋。

此処で英二さん下船、風呂の後、フェリーで宇野港へ。入れ違い和田が合流。宇野港で2人はすれちがっているはず。

宮之浦の小料理屋「ニューおりんぴあ」で夕食の後、モダンアート銭湯に入る。草間彌生のてんとう虫かぼちゃの実物があった!フェリー乗り場前の住吉神社には応神天皇が座ったという岩がある。色んなものがある島です。

夜、崇徳上皇の末裔という地元ヨットマン(三宅さん)がDonbra-Goにやってくる。翌日午前中に自家用車で島を案内してくれた。

 

8/17(日)直島~多度津 17mile

午前中ベネッセハウス、地中美術館を見学。美術館スタッフの姿勢がやけに良い。

宮之浦で讃岐うどんランチ。量が多い。初四国の岩田さんは食後東京へ。

12:00直島発。私は初めての瀬戸内海クルージング。ブッシュさんと二人なので魚探付GPSプロッタとオートパイロットは必需品。

15:00多度津合田マリーナ着。JRで丸亀に出て、猪熊弦一郎美術館でちびさんと待ち合わせ。この美術館スタッフは普通でほっとする。スタッフの推薦により骨付鳥の「一鶴」で夕飯。「鳥めし」が絶品。タクシーで合田マリーナへ戻る。途中、氷の買出し。

 

8/18(月)多度津~白石島 15mile

午前中ブッシュさん、ちびさんと金刀比羅詣。階段下の「こんぴらうどん」できつねうどん朝食。

小雨の中1365段の奥社を目指すが、785段の本宮でお参りをして引き返す。

参道の「金陵」で蔵元限定の純米酒とゆず酒を調達。商店街の和菓子屋「へんこつ屋」で抹茶と羊羹を頂く。

11:30多度津発14:30白石島着。高見島と広島の間を通って白石島を目指したが、途中水深2mの浅瀬が進路をふさいでいたので広島にギリギリ寄せてクリアする。ホンデックス様さま。西行潮流が強い。

南南西の順風を受けて帆走のまま白石島漁港へアプローチ。港口前の松小島が人工物のよう。漁港には立派なポンツーンが三つもあるがあまり利用されていない感じ。歩いて西側の海水浴場へ。民宿はどこも満員。夕立模様のせいか「Moobar」に客はいない。「さんちゃん」で食事をしてシャワーを借りる。ウォッカベースのチュウハイで酩酊。さんちゃんの軽トラでDonbra-Goまで送ってもらう。

 

8/19(火)白石島~尾道 24mile

07:00白石島発11:30時尾道着。 北木島との間の水路を抜けて追い潮に乗って田島と陸の間の水路に入り向島を右折して尾道水路に入る。思いのほか船の往来は少なかった。

尾道海の駅ポンツーンにつける。晴天。水道・電気・セキュリティゲート付の立派な施設。

ホテル横の尾道ラーメンで昼食。美味い。市役所観光課で風呂と食事と、ちびさんゆかりのスナックあかつきの情報を仕入れる。対応した職員の感じがすこぶる良かった。ロープウェイで千光寺お参り。JR尾道駅までぶらぶら歩いて船に戻る。

金毘羅詣筋肉痛で重たい足を引きずって銭湯へ。銭湯のおやじ推薦の駅前居酒屋「みち草」で夕食のあとスナックには行かず船に戻って爆睡。

 

8/20(水)尾道~弓削島 14mile

昨夜稲光が遠くに見えたが、広島市に豪雨をもたらした積乱雲のものだったらしい。尾道はきれいな朝焼け。

 

10:00尾道発。潮流のきつい島の間の水路を村上水軍気分で進み12:30弓削港海の駅着。町役場の職員が舫いを取りに走って来る。ここら辺の海の駅は概して設備は良いがソフトが無い。しかし、ここのおもてなしは気持ち良い。

予約した民宿「中塚」に着替えと洗濯物を持って移動。洗濯機を借りようとすると洗って干しておいてくれると。民宿お薦めのお好み焼き「はまや」で満腹状態。良く喋る浜ちゃんは中塚のいっちゃんの同級生だそうな。ちびさんは民宿でお昼寝。ブッシュさんの海水浴に付き合うが、満腹のため砂浜で爆睡。腹ごなしのために少し泳ぐ。

17:00須賀さん、樫田さん到着。民宿「中塚」チェックインの後、須賀さんは思い出を探しに海水浴場へ。

入浴後の夕食は、ハゲ(かわはぎ)の煮付がメインでこれがバカうま。脇役の品々もいっちゃんの腕が冴えていて美味い。琴平で購入した金陵純米酒とちびさん差し入れのスパークリングワインがあっと言う間に空いてしまう。久々の布団の上で爆睡。

 

8/21(木)弓削島~大崎下島 22mile

同宿の舵社カヌー雑誌の記者二人と朝飯。朝から鯛の尾頭付き!

08:00弓削港発13:00大崎下島の小長(おちょう)港海の駅着。途中大三島と伯方島の間の水路を抜けた所(橋の下)で渦潮を目撃。岡村島の観音崎をかわして大崎下島の御手洗に入るところで、急潮に押されて浅瀬に寄せられる。冷や汗。

 

昨夜舵記者から聞いた「おおちょうミカン」は「大長ミカン」だったことを初めて認識。「おおちょう」と「おちょう」ややこしい。小長から御手洗(みたらい)まで2Kmなので歩いて昼食をとりに行くこと決定。しかし気温39度のため大長でギブアップ。島で一台のゆたかタクシーを電話で呼ぶ。運転手さんお薦めの御手洗の「みはらし食堂」で昼食。江戸時代からの街並みや芝居小屋「乙女座」に歴史好きの樫田さん大喜び。

 

 

再びゆたかタクシーを呼び宇津神社経由小長に戻る。夕食は、大長の「オレンジハウス」へ歩いて行くことに。夕方になると大長までの道のりも苦にならない。もとサーファーの御主人が腕を振るった刺身(鯛、あわび、さざえ)に舌鼓。サワーグラス入りの焼酎ロックに須賀さんびっくり。千鳥足で小長へ。

 

8/22(金)大崎下島~松山 20mile

08:00小長発。

小長出港時は小降りだった雨が大長近辺でバケツをひっくり返したような豪雨になる。風は真追手の30ノットで、ほぼ視界ゼロ。戻るに戻れない。GPSを頼りに二つの浅瀬をクリアしたころには小降りとなり視界も広がる。カッパは着たまま松山を目指す。

和気ハーバーは河口にあり堆積物で水深が浅い。今日の最干が13:30なのでエンジンの回転数は高め。12:00松山郊外の島マリン和気ハーバー着。

全員お泊りの支度をして伊予鉄バスで松山へ。30分510円。キンさんを出迎えみんなでホテルチェックイン。路面電車の一日乗車券@\400でJR松山駅から大街道下車し、樫田さんの先導で秋山兄弟生家を見学の後、松山城天守閣から市内を見下ろす。再び路面電車で道後温泉まで。共同温泉「神の湯」で夏目漱石の功績に思いをはせる。湯上り姿で土産屋を冷やかしてから大街道に戻る。駐車場のおじさんに聞いて居酒屋「八角」に入る。少し物足りないのでうどん屋「つるちゃん」入店。ここのうどんは美味しい! タクシーに乗ってホテルに辿り着く。

 

8/23(土)松山~屋代島 26mile

07:30ホテルで朝食。08:40JR松山駅発の伊予鉄バス運転免許センター行きでマリーナに戻る。

09:30出港

 

14:30屋代島(周防大島)安下庄入港。 土曜日のためどの宿も満員。立ち寄り温泉がある竜崎に船を移す。小さな船だまりで港口が浅くキールぎりぎりで入ったものの、コンクリートブロックとか漁船の錨が上向きに転がっていて余程条件の良い時でないと入港はお薦めできない。ともあれ、アンカリング槍付けで舫いを取る。

 

早速竜崎温泉「ちどり」入湯。湯船からDonbra-Goのマスト越しの屋代島は絶景です。施設内にある畳敷きの食堂で宴会開始。太刀魚の銀盆焼き美味。さきちゃんのお給仕で食事もお酒もどんどん進みます。宴たけなわのところでブッシュさんの同級生 河岡順一さん(72年卒 法律F組)が登場。色々親切に教えてくださる。

 

 

全員船中泊。須賀さんとブッシュさんがコクピットで寝ることに。明け方強めの通り雨が来る。磯野君のブルーシートがまた役にたった。

 

8/24(日)屋代島~大分 40mile

樫田さんは06:45発のバスで柳井経由東京を目指します。

Donbra-Goは06:40竜崎出港し、キンさんのご指導で安下庄入出港練習。

潮の弱い時間帯を狙って出港時間を決めたが、国東半島に近寄るに従い南行流が強くなる。下のタコ壺を避けようと上したがラダーに引っかけてしまった。こういうときは下さないと駄目です。

14:45大分のマリンピアむさし入港。金陵ゆず酒の炭酸割りで乾杯。蝶がコクピットにとまって離れない。この蝶々を「さきちゃん」と命名。

 

17:30香川さんが奥さんと娘さんを連れて登場。ハーバーマスターお薦めの食堂「磯かつ」で夕食をともにする。次回は香川と一緒にDonbra-Goに乗れれば良いなと思う。

写真

 

タクシーでホテルグランド国東へ。

 

8/25(月)マリンピアむさし

Donbra-Goの掃除と艤装解除して上架する。残った食材をクラブハウスに持ち込んで昼食とする。大分空港のレストランで最後の宴会をして全員18:15発のANA200便で羽田に向かう。初めての瀬戸内海クルージング楽しかったです。ブッシュさん皆さんありがとうございました。

 

 

 

Donbra-Go 九州回航配艇表(2014/8/25現在)
日付 停泊予定地 Day Mile 人数 樫田 須賀 磯野 鈴木 吉川 岩田 伊藤 辰巳 岩崎 遠藤 和田
7/26(土) 油壺   0 4 ×
7/27(日) 油壺 0 4 ×
7/28(月) 油壺 0 4
7/29(火) 下田 47 4
7/30(水) 福田 57 4
7/31(木) 鳥羽 55 4
8/1(金) ステイ 0 2 ×
8/2(土) 五ヶ所 35 3
8/3(日) 九鬼浦 33 3
8/4(月) 五ヶ所 33 3
8/5(火) ステイ 0 2
8/6(水) ステイ 0 1 ×
8/7(木) ステイ 0 0 ×
8/8(金) ステイ 0 0 ×
8/9(土) ステイ 0 0 × ×
8/10(日) ステイ  0 0 × ×
8/11(月) ステイ 0 2 × ×
8/12(火) 二木島 40 2 × ×
8/13(水) 串本   37 2 × ×
8/14(木) 田辺  40 3 × ×
8/15(金) 淡路福良 52 3 ×
8/16(土) 直島  40 3 × ×
8/17(日) 多度津  17 2 × × ×
8/18(月) 白石島  15 3
8/19(火) 尾道 24 3
8/20(水) 弓削島 14 3
8/21(木) 大崎下島 22 5
8/22(金) 松山 20 5
8/23(土) 屋代島 26 6
8/24(日) マリンピア 40 5
8/25(月) ステイ 0 5
8/26(火) ステイ 0 0
合計 647

2014年夏 地中海から瀬戸内海へのクルージング

地中海から瀬戸内海へのクルージング

《地中海編 乗艇者 * 北川清(69)、樫田善太郎(70)、伊藤英二(70)、吉川誠一(72)、鈴木春仁(72)》

 

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鬼っ子丸メンバーを中心にした海外クルージンググループはこのところ毎年地中海でのクルージングを重ねておりますが、今年は7月初旬にスペインのマジョルカ島へ行きました。

今年も碧い海と現地の料理を堪能。マジョルカ島は欧州の観光客(特にドイツ人)で賑わう一大観光地ですので、停泊料金も我々の47フィートで大体100~110ユーロ(約15000円)と、これまでの他の地域に比べるとやや割り高ですが、どの港も近代的な素晴らしい設備を持ったマリーナが完備されています。逆にそれだけにどの港も同じような感じで味気ないとも言えますが、日本のマリーナ事情からすると羨ましい限りです。

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この数年の地中海クルージングで気がついた“地中海で絶対に見なかったもの!”

①     ヨットに乗る東洋人 ② 我々のような男性だけのヨット ③ 海のゴミ(浮遊物)

特に感心するのは、海上やどこの港内にも全くゴミ(浮遊物)が無い!ホントにゼロ!

これは数千年に亘る歴史の中での海に対する考え方・文化・教育の賜物だと思います。翻って今の日本の海を見ると恥ずかしい思いがします。反省!

kccスペイン (3)

 

 

 

毎年の海外クルージング中に何年か前からメンバーの間で、海外もいいけどノンビリと日本の素晴らしい海や港町へも行きたい!との夢を語っていました。遂に今年その夢を実現することが出来ました。吉川君(72)が中心になってDonbra号(ババリア30)を購入。kccどんぶら (1)

台風11号の影響で一部予定変更を余儀なくされましたが、7月末からほぼ1ヶ月かけて油壺から瀬戸内海を経て九州大分港に辿り着きました。その間吉川君は乗りっぱなしでしたが、それ以外の人達は世代を超えた延べ20人くらいのKCCのOBです。

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正に駅伝のタスキのごとく港・港で交代をしながら紀伊半島・瀬戸内海の海と町を楽しみながら大分に辿り着いた訳です。

今後Donbra号は大分港を活動拠点として瀬戸内海や五島列島へのクルージングを予定しています。

kccどんぶら (3)

このように海外クルージングと瀬戸内海・九州のクルージングという夢のようなヨットライフを楽しむことが出来るのは、KCCで身につけたヨットの知識・経験・技術ということもありますが、一番は世代も超えたKCCの素晴らしい仲間たちとの絆です。

KCCバンザイ!

来年は第一部の海外クルージング(10回記念)は6月にイタリアのサルディニア島、第二部の国内クルージングは梅雨の終わった7・8月に瀬戸内海と九州のクルージングを予定しています。

一部でも二部でも関心のある方はご連絡をください。

1970年卒 伊藤 英二  記

2013年夏「鬼っ子丸グループ」のトルコ巡航 

東地中海からエーゲ海へ:2013年夏「鬼っ子丸グループ」のトルコ巡航

1970年卒 大野拓司

 

エーゲ海の「碧さ」をどう表現したらいいだろうか。「透き通るような」といった形容ではモノ足りない。それは、あたかも「あお」の色素が水中に凝縮されて溶け込んでいるかのようである。すくってペットボトルにでも入れれば、「あお」がそのままボトルに閉じ込められて「トルコ石」の塊ができるのではという気にさえしてくる。すごく綺麗だ。

鬼っ子 トルコ②

この一帯は、陸地だけでなく海底にまで白い大理石の岩盤がのびているからで、そこに降りそそぐ太陽の紫外線が反射して、あの魅惑的な碧い海が出現するのだという。「地中海の不思議」を解説する本に、そう書いてあった。そうしたら、理系の友人いわく、「ああ、あれね。地中海は碧いけど、いわば『海の砂漠』なの。周りが岩だらけの禿山が多くて、海にはプランクトンが少ないから魚があまりいないし、海草も育たない。だから日本の海のように磯臭さがしなかっただろう?」と。

確かに、そうかもしれないけど、なんだか身も蓋もない言い種じゃあないか。

鬼っ子 トルコ④

やっぱり行ってよかった。船、海、風、波。そして文明興亡の歴史・・・。ぼくたち「鬼っ子丸グループ」をコアにした6人は、この夏(2013年8月)、トルコ南西部の東地中海・エーゲ海でのクルージングを堪能してきた。加えて、古代ギリシャの遺跡が残るクシャダス周辺やアジアとヨーロッパをつなぐ都イスタンブールなど陸上観光の魅力もたっぷり楽しめた2週間だった。ヨットはこれまでと同様にチャーターで、世界各地に拠点を持つSunsailを使った。43ftだった.

IMG_0140鬼っ子 トルコ①

このクラスだと、チャーター料はベアーで1週間が約50万円。クルーは、各自の負担を考えれば最低5人はいたほうがいいし、船内での寝泊りも含めた居住性を考慮すれば7、8人までなら問題なさそう。今回のメンバーは、シュウチョウ北川(1968年卒)、伊藤英二(70年卒)、樫田善太郎(同)、大野拓司(同)、ブッシュ吉川(72年卒)、アントニウス和田(77年卒)。もともとは、計画段階から熱心だったチンパン服部(68年卒)も加わっての計7人のはずであったが、成田出発の直前に体調を崩してしまい、断念。しかし、「後方支援隊長」を自任して東京でサポートに回ってくれたのは心強かった。

鬼っ子 トルコ③

あれを食いたい、これも食いたい。そこに行きたい、あそこにも。そうこうしているうちに体力は衰え、気力も萎え、おまけに財布まで細ってしまうのが人の世の常とか。であるなら、できる時にまずは踏み出してみよう。というわけで、鬼っ子丸グループは、これまでに南太平洋のニューカレドニア(1998年)やタヒチ(2007年)を皮切りに、アンダマン海へとつづくマラッカ海峡北端に近いマレーシア・ランカウィ(2009年)、さらに2011年からは舞台を地中海へと舵をきり、ギリシャのイオニア海、翌年はイタリア・ティレニア海、今回の東地中海・エーゲ海クルージングとなった。ヨットは現地でチャーターする。途中からの参加も離脱も自由。無理はしない。この三原則でやってきた。小生(大野)はランカウィとトルコに参加しただけだが、事故もなく楽しく乗り切れたのは仲間たちによる下調べ、交渉、手配、臨機応変な対応が支えていたからにほかならない。

鬼っ子 トルコ⑤

海あればこそ、ヨットあればこそ、そして何よりも仲間あればこそのクルージング・ライフだ。そのことを改めてかみしめたトルコの旅であった。

で、来年は? 「マヨルカ島を目指そう」という話が持ち上がっている。地中海の魅力に憑りつかれたら、なかなか抜け出せないのだと言われているらしい。

2013・11・15記

 

2013 IFDSブラインドセーリング世界選手権に参加して

「2013 IFDSブラインドセーリング世界選手権」に参加して」      1976年卒 千葉 操   今年5月24日から6月1日にまでの約10日間、シーボニアで開催された上記レースに参加しました。 期間中、1日だけ強風で中止になった他は好天に恵まれ、全15レースを消化しました。 結果から申し上げると、私が参加した「エオリア」チームはB-1クラスで4位(3位と同点・1位の回数の違いで)で、 メダルを逃しました。 【下記リンク参照】 http://2013blindworldsyc.com/race_result/Final.pdf3ブラインドレース

私がブラインドセーリングと関わりを持つようになったのは、2011年の秋に30年来のお付き合いを させていただいている、竹内誠氏からのお誘いがきっかけです。竹内さんは1947年生まれの青山学院 ヨット部卒で、レース艇「カラス」の初代スキッパーをしていた方です。 最初は私が「シークラウンⅢ」で活動していた時に助っ人で乗艇して頂き、それ以来お付き合いです。 ブラインドのお二方、宇田川敏男氏(63)及び内村千文氏(53)はヨット歴4年そこそこですが、ヨットで 海に出ることが大好きで、レースになると素晴らしい集中力をお持ちになっており、一緒に乗艇していて教えるよりも こちらが教えてもらうことが多かったようにも思えます。 昨年5月のブラインド全日本選手権があったのですが私は「沖縄レース」に参加したため、辞退せざるを 得ませんでした。結果は5位、世界選手権には、上位3位までのチームが参加という決まりだったのですが、 海外からの参加数が予想より少なくなったため、開催国特権ということで3チームが追加参加となりました。 ブラインドレース4 ブラインド セーリングのレースでは、2人の視覚障害者(ブラインド)と2人の晴眼者(サイテッド)の4名が 乗り組んで、協力してヨットを操ります。ブラインドの2人はヘルムスとメインセールのトリムを担当し、 サイテッドクルージブセールの調整メインのアウトホール、カニンガム等と、サイテッドスキッパーが眼になり、 声で周囲の状況をブラインドに伝えたり操船の指示を出し、安全を確保します。スキッパーは一切手が出せません。 私のポジションはサイテッドクルーです。KCCの1年生でディンギーのクルーの際してたこととほとんど同じ作業を しています。 因みにスピンネーカーは使用しません。フリーの走りは基本的には観音開きです。 今回のワールドではJ-24を使用して行われ、B1クラス(全盲)、B2クラス(光覚手動)、B3クラス (弱視)の3つのカテゴリークラスに分けて行われました。 ブラインドレース5   振り返ってみて、60歳を過ぎ実質4日間で15レースは大変きつかった。1日4レースの日もあり途中レーデイが 1日あったため助かりました。昨年暮れ、ワールド参加が決まり、年明けからほとんど毎週土曜練習をした成果もあり 何とか恥ずかしくない結果に終わりました。一部KCC関係者の方々も応援に駆けつけていただき、大変心強く感じた 次第です。この場をお借りして、御礼申し上げます。

【関係資料】 http://www.jbsa.jp/ http://2013blindworldsyc.com/

36年ぶりの相模湾横断

36年ぶりの相模湾横断

―真鶴航海記―

森田栄一(1978年卒)

2013年8月14日火曜日10時、坂の上から眺める油壺湾はいつもの静かな佇まい、何時見てもここからの風景には癒されます。夏休みの今日はPacific Boys2に乗って、真鶴への2days cruising。私にとっては36年振りの相模湾横断です。メンバーは81年卒の岩崎・安良城・仰木、そして岩崎の会社の同僚の肥田野氏と、78年卒の私森田の5名。Pacific Boys2は81年卒のメンバーの所有艇で私は居候です。身分は最上級生、でも態度は最下級クルーの謙虚な態度を心掛けております。

始まりは同期で、理事である外山からの二年振りの電話でした。あまりに久し振りだったので悪い知らせかと思い電話に出ると、「どうせ暇してんでしょ、今度のKCC Cupに出なさい、船はPacific Boys2にでも乗せて貰って」という強引な電話。逆らうと大変な事になるので、止む無く参加しました。

大学卒業後8年程は転勤地の広島で船に乗っていました。その後は極めて平均的なサラリーマンとして、休日といえば子供の相手・休日出勤・接待ゴルフと雑用に追われ、全く海とは縁の無い生活でした。

でもやはり海に来ると目覚めてしまいますね。深い緑の両岸に挟まれた静かな油壺湾から出港し、東大臨海実験所の岬を廻った時に見える沖の白波、心震えました。やっぱり還る場所は此処しか無いと。それ以来月に二回位のペースでPacific Boys2のご厄介になっています。

11時出港。沖に出ると、南の風、風速5メーター。ガスっているので伊豆半島は見えませんが、迷ナビゲーター安良城の「真鶴は270度位でしょう」との指示で、その方位に向かいます。本当に着くか?写真は左から仰木、私、迷ナビゲーター安良城。

森田

まだ出港したばかりですが、他にする事もなく、当然の様にビールで乾杯。別名「居酒屋岩崎」の異名を誇るPacific Boys2。シェフ岩崎が、早速お得意の胡瓜の塩漬けを作ります。生姜が利いて実に旨い。鰹の刺身やら、烏賊げその生姜炒めやら、次々出てくる料理に舌鼓を打ち、馬鹿話に興じている内に、3時無事に真鶴入港。写真真ん中は下準備に余念の無い岩崎シェフ、他は怠け者の二人。

森田2

そもそも何故真鶴かと言えば、お土産物屋の店先で、七輪で干物を焼きながら飲み、酒屋の店内で美味しい日本酒を飲むのが目的との事。全員上場企業の社員であるメンバーの行動とはとても思われませんが、迷わずお土産物屋に直行。

まずはアジの干物から始めます。「この店は芸能人が多数来るんよ」というオバちゃんの自慢話を聴きながら、アジ・カマスの干物を食べまくり、ビールを飲みまくり、でもまだ陽は高く、今日の宴会は何時まで続くのか?写真は左から肥田野氏、仰木、岩崎。肥田野氏、既に撃沈!

森田3

次に訪問した地元の酒屋さん。好きな日本酒の一升瓶を購入し、缶詰やら乾き物で一杯やるスタイル。お酒は富山の銘酒「立山」を購入。酒屋のオバちゃんとは真鶴在住のカナダのヨット乗りの話題で盛り上がりました。写真は左から仰木、安良城。仰木撃沈!

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その後船に全員で戻り、身体の整備のために近くの旅館でお風呂を借りました。お風呂に入り一段落した後は、船の甲板で一杯、また一杯。寝静まった港に響く、中年?老年?ヨットマン達の雄叫び。迷惑な雄叫びは夜更けまで延々と続きました。写真は港内から見た真鶴港の入港灯。やっぱり夜の灯台は良いですね。

森田灯台

翌日は早く東京に帰って孫と一緒に一日を有効に使うという安良城お爺ちゃんが5時前からごそごそ始めたので、5時前には出港。昨日と同じく南の風、風速5メーター、昨日よりかなりガスがかかっている。出港して間もなく、美しい朝日を拝めました。全員黙礼

森田朝日

帰途ではケンケンに挑戦。事前にいろいろと研究した結果、右舷からは表層狙いの飛行板を、左舷からは中層狙いの潜行板を流す。ちらちらと後方を気にしながら油壺に向かっていると、飛行板に何かがHIT。マグロか真鰹かと夢は拡がります。BUT、上げてみればいつものシイラ。釣れる魚は36年前と変わらなかった。トホホ。写真は私と可哀想なシイラ君。

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可哀想なシイラ君は岩崎シェフの手にかかり、すぐに生姜焼きに変身し、我々の胃袋に納まりました。

森田8

そうこうしている内に、10時には帰港。楽しい、楽しい真鶴クルージングでした。「Pacific Boys2のメンバー、乗せてくれてありがとう。いつも感謝してるよ!」

これを読んでいるOB・OGの皆様の中に、海と縁のなくなった方が多数いらっしゃると思います。私もそうでした。でも久し振りに海に還って、改めて海の素晴らしさを思い出しました。煩わしい仕事、家族の問題、将来への不安、この年になるといろいろありますが、一瞬全て忘れました。太陽が沈む時の凪いだ夏の黄昏はもちろん、冬の荒れる海、重い風、黒く険しい波、あれが全て私の原点だと思い出しました。海の素晴らしさをより多くの人に、再び味わって頂きたいと思います。

拙い文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

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