KCC for OB

慶応クルージングクラブOB会

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マルコポーロ号 東京湾夕涼みのご報告

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81年卒の二見です。

 

マルコポーロ納涼クルーズのレポート寄稿は、随分以前にOB会広報委員T先輩から依頼を受けていました。残暑を凌ぐ納涼クルーズのレポートが、木枯らし吹くこの時期になってしまった事、まずお詫び申し上げます。

 

さて、マルコポーロ納涼クルーズですが、僕は初めて参加させて頂きました。9月12日、まだ暑さが残る土曜日の夕方、晴海朝潮桟橋に向かいます。9月中旬の17:30、まだ明るい桟橋には、次から次に屋形船が着岸し、乗船客の乗り降りで賑わっています。気の早いKCC OBの方の顔もちらほら見え始めました。そんな中、17:45我々が乗船するマルコポーロが明らかに他の屋形船と違う南欧風のスマートな船体を見せます。少し優越感を感じながら桟橋に移動し、乗船開始。幅広い年代のOBとそのご家族が集まっているのは、KCC OB会の企画ならではです。これまたKCC OB会らしく、乗船開始とともにアッパーデッキから「乾杯」の声と缶ビールが次々と開く音が聞こえます。会費徴収係を拝命している僕は、同じ係の若手OBのI君とともに、桟橋で各OBから会費の徴収をせねばなりません。「乾杯」できず悔しい思いでしたが、同期のK君とY君も「乾杯」を我慢して手伝ってくれます。やはり、持つべきものはNeo Pathosの仲間たちです。

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桟橋は次々に屋形船が着岸、離岸を繰り返し、乗降客で大変な慌ただしさです。ここを仕切っているおじさんが早く桟橋を空けさせたいので、さかんに「全員乗ったか、まだか」と迫ってきます。18:00出港予定時間にはまだ十分な時間はありますし、その旨を伝えても、このおじさん、しつこく「あと何人だ」と聞いてきます。最後まで待たせたS先輩が乗船したのは、それでも17:55。ここでも5分前精神が生きている、いかにもKCC OB会らしいところです。

 

マルコポーロはO先輩の操船のもと、時間通り18:00に桟橋を離岸、晴海から浜離宮を後ろに芝浦を目指します。1階キャビンで、食事とお喋りを楽しむOB、アッパーデッキで夕方の涼風と景色を楽しむOB、飲み物や食事を手に1階キャビンとアッパーデッキを上がったり下りたり忙しいOB、それぞれ思い思いのポジションで時間を楽しみます。レインボーブリッヂに近づく頃には、夕日も傾き、徐々に夕闇が迫ります。光の変化が、周りの風景にその彩りを刻々と変化させ、なんと美しい事でしょう。東京でも、こんな夕日の光の変化、それが反射する空と風景の色の変化が経験できる時間があったのですね。心地よい風にあたりながら、光の変化に影の姿が変わるレインボーブリッヂ、東京タワー、芝浦埠頭、お台場の絶好のシャッターチャンスにOB達は大忙しです。

 

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天王州アイルから水路に入る頃には、既に周りはすっかり暗闇に包まれます。天王洲アイル、羽田空港に行く際に何度も通りましたが、こんなオシャレなところなのですね。水路から見えるオシャレなビアホールにはオシャレな若者たちで賑わっています。水路を走るマルコポーロと艇上で楽しむOB達の姿も、十分オシャレに映っている事でしょう。

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さて、暗くなった後は、沖からの東京の夜景を楽しみながら、納涼クルーズは続くとばかり思っていました。ところが大違い。マルコポーロを操るO先輩は、狭い水路をどんどん奥に進みます。幅は10mに満たず、水路沿いのオフィスビルの窓の中が見えるような近い距離感。まるで都バスに乗っているような気分になっていると、進行方向には橋が…マルコポーロはくぐれるのかと言った高さです。しかし、O先輩はお構いなしに速度を緩めず、突き進み、見事に橋をくぐります。我々アッパーデッキのOB達は、橋梁構造を下から観察しながら、橋をくぐります。と思いきや、また次の橋がマルコポーロの進行方向に立ちはだかります。今度は低い。アッパーデッキのスタンションがきりきり通る高さ。OB達は腰を屈め首をすくめて橋をくぐります。手を伸ばせば、橋の裏側に十分届く高さ。潮が少しでも高ければ、マルコポーロはくぐれなかったような高さです。運動神経の悪い乗客ならば、頭を橋げたにぶつけるようなスピード感です。しかし、ここはKCCのOB達、全員が見事な「首すくめ」で橋をクリアーしました。

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そんな橋をいくつか通過した後、マルコポーロは再び東京湾へ。お台場の近くは数多くの屋形船が停泊、お台場の夜景を楽しみながら夕食または宴会中です。あたりは屋形船に定番のキス天麩羅をあげる香ばしい油の香りがただよいます。マルコポーロではと言うと、既に夕食はほぼ完食、ビールは飽きてワインは赤白とも飲み干し、OB達はジンやラムをなんで割って飲むべきか思案中と言った状態。周りの屋形船の盛り上がり「何するものぞ」のノリで、さすがです。IMGP2702IMGP2721

 

その頃、お台場の奇怪なFテレビ局のビルは19:00に向けたカウントダウンが始まりました。1分ごとにビルのライトアップが変わります。「ゼロ」のカウントとともにどんなイルミネーションが展開されるかと期待が高まります…が、たいしたイルミネーションもなく全員落胆の声をあげながら、マルコポーロはお台場を離れ晴海に戻ります。

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出港時は、まだ明るい東京湾でしたが、空は既に暗くなり、街は夜景に輝きます。普段なら、この光の中の何処かに埋もれている自分ですが、今はそれを外から眺めているような妙な気分。それでも、東京の夜景は明るいですね。

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そうこうしているうちに、マルコポーロは出港した晴海朝潮桟橋に戻ります。O先輩の見事な接岸の後、OB達は下船。まだ時間的に早いのか、桟橋はガラガラです。出港時に桟橋を仕切っていたおじさんも、酔っぱらったOB達がだらだら下船するのを咎めません。桟橋上で、集合写真ののち解散、夜景の光の中に戻ります。素晴らしい夜景と海を渡る風、昔の仲間たちとの酌み交わした酒、年代を超えて語らった会話、素敵な時間の余韻とともにOB達は三々五々家路につきました。

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以上

2015年 OB会総会のお知らせ

 

KCCforOB

2015年 KCC・OB会総会開催のお知らせ

 

本年度総会を下記の通り開催致します

1年間の現役 OB会の活発な活動をお伝えしたく

一人でも多くの方のご出席をお待ちしています

どうぞ同期 お仲間 お誘い合わせの上ご出席下さい

日時  :2015年12月12日(土)

    13:30 現役総会

    14:45 卒年幹事・総会

場所  :慶應義塾大学 三田キャンパス

南校舎4階 451教室

大銀杏南校舎

 

 懇親会:17:30~

同南校舎4階 ザ・カフェテリア

会費6千円

懇親会からのご参加も大歓迎です!!

カフェテリア

*       *    *

KEIO図書館

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11月3日「KCC海の安全の日」ご案内

「KCC海の安全の日」

 

JSAF安全講習会に参加しました。

秋が終わると海が荒れ始め、安全第一という外洋セーリングの最も大切な事を改めて考えなければならない時期となります。

さて、11月にはKCC海の安全の日があります。50年前の事故が決して他人事ではない事を再確認する日です。

詳細は以下の通りですので、OBの皆様よろしくお願いします。

日程:11月3日(祝)

場所:油壺湾油壺公園慰霊碑前

時間:11時00分 集合

11時05分 開会

11時30分 閉会

11時30分~希望される方はネオパトスの見学

*なお 今年は懇親会はございません

 

KCC主将 金子

新企画Ⅱ OB同期紹介 第一弾《06年卒》!

06年卒 同期紹介           

                          2006年卒 金子直城

 

KCC 06年卒は当時の世代には珍しく、女子部員がいるところからスタートした。が、はじめ6人であったメンバーは諸般の都合により徐々に減り、結果残ったのは3名である。

2年の時にはホープ吉村を失い1つ下の代を穴あきにしてしまう。

が、その後OB、他大、先輩のサポートを受けながらなんとか方向を修正。

自分たち自身も途中で穴あけ期間があったりなかったりしながらなんとか支え合い卒業までこぎ着ける。4年を迎える時には、藤本を始め各世代にキーパーソンを擁しながら次の世代にタスキを渡す事ができた。

 

<氏名/学部/KCCでの役割>

金子直城/総合政策学部/主将・学連

須田侑子/環境情報学部/副将・艇体管理

飯田晶子/環境情報学部/会計・OB

 

現役時代。後列右から飯田、須田。最前列に金子。

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【金子直城】

KCC引退後は、元々やってみたかったボクシングジムに入り、卒業まで汗を流す。卒業後、愛知県の自動車メーカーに勤務。入社以来、生産管理部門で業務を行ってきたが、現場での業務がありながらも基本はデスクワーク。当時と比較すると、ボクシングで身体を絞った反動もあり、卒業時点より+15kg。メタボ化も待ったなしの状況である。最近はランニングを初めてダイエットに奮起しているが、逆にご飯がおいしくなり更に体重が増える悪循環の中で戦っている。

たまにヨットで海に出る夢を見ては現実に戻り、ゴルフバックを背負って家を出る、そんな日々。いつかまた海に出たいという気持ちをうっすら感じながら、地に足のついた日常の繰り返しが続いていく。

北海道での一コマ。光と陰、陰と陽、体重の増と減は表裏一体である。

金子氏

 

【須田侑子】

卒業後、政府系金融機関に就職し、金融システム調査・研究やリレーションシップマネジャー、経営企画調査、トレーディングを7年間に亘って経験した。その後、渡米し、コーチおよび営業として、コーチングファームに勤務。本年4月に帰国し、6月からは、外資系金融会社にて、海外投資ファンドのサービシングに携わっている。

現在の勤務地が、海の神様で知られる金刀比羅宮分社の敷地内にあるビル、と、海の御縁を感じている。ヨットは、KCCフェスタなど年一回乗れるか乗れないか…という年が続いているが、そのうち、海の傍に家を持つか、自分の船を持ちたいと思っている。

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【飯田晶子】

卒業後、大学院に進学。都市計画・まちづくりを学ぶ。現在は、慶應大学から国立大学に異動し、助教として研究を続ける。卒業後、ヨットに乗ることはめったになくなったが、沖縄県の八重山諸島やパラオ共和国での研究活動を通じて、海は今でも身近な存在である。研究の対象地として、海に囲まれた離島を選んだのは、大学時代ネオパトスで各地を巡った4年間の経験が影響していると感じる。

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パラオ共和国での調査の一コマ。左から二番目が飯田

 

 

新企画Ⅰ OB艇紹介 第一弾《ハッチャー》!                 

 《 ハッチャー 》 1966年卒業メンバーを中心に上下3代

                           1966卒・馬渡健治 

生い立ちから・・

バカンチェスキー グループの結成

1966年KCC卒業を中心に、上下3代でグループを作り、クルーザーを持とうじゃないかということを決めた。1970年、名古屋でバンデスタッド設計の23フィート合板艇を自作していた人(チタグループ)がハルを完成したところで製作を中止し譲渡したいという話が入ってきた。

「わたりにふね」ということで、鳥羽の作業場に現物を見に行ったところしっかりできていたので購入することとし、横浜の岡本造船に運びこみ、岡本造船の助けを借りながら、デッキ張り、FRPカバーリング、内装(ほとんどなにも無し)、艤装などを自分たちで行い約1年がかりで完成、1972年3月進水、「Buccantcheskii」と命名した。

馬渡氏①

バンデシュタッド23 BUCCANTCHESKII

 

 

馬渡氏② 

進水式 1972.3月

馬渡氏③

船底FRPライニング後のパテ付、サンディング

馬渡氏④

[祝詞]をささげる183先生

このモデルは1963年のYachting Word誌の小型クルーザーOne of a Kind レガッタでも評価が高かった艇(通称バッカニア、現在に至っても新艇を建造するファンあり)で、スリム(7.3mx2.0m)な軽量艇でセールトリムに敏感に反応し、微風、強風、追い風で大型艇を抜き去ることもしばしば、しかし常に集中していないとスピードが落ちるので疲れることおびただしく、鳥羽レースでも途中までは絶好のポジションをキープしていたがそこまでといった具合で、レース成績はまあまあであった。

艇名のBaccantcheskiiは当時出現した水中翼船「バカンス号」、船種「バッカニア」をもじって「バカンチェスキー」とロシア語風に命名、みなさんからバカでチョンボでスキモノの「バカチョン」号と揶揄されました。

 

係留は諸磯、同時にKCC現役艇の係留権を獲得した。現在も諸磯にVaccantcheskiiとしてHatcher外郭仲間が係留。

メンバー:岩片(65年卒)、大澤、井上、小田原、金行、太田、馬渡、勅使河原(以上66年)、須賀、大森、中村(以上67年) 特別参加:伊集院紘

 

 

ハッチャー 購入 小網代へ

在日米国人MR. Richard L. Hatcherと知り合いになった小田原が、1972年5月Hatcher氏が所有し小網代に係留していたモーターボート(34フィート)「はっちゃん号」の共同オーナーとなり、Hatcher氏が帰国したことにより、小網代の係留権を継承した。

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Hatcher氏所有モーターボート。いすゞのトラックエンジン100PS、クラッチ付。

 

Buccantcheskiiは面白い艇であったがメンバー全員が乗るには小さく、もっと楽な艇を求める声も強くなったので、1975年にDUFOR30「アルページュ」(東レがノックダウンで製造した艇)を購入し、モーターボートに代えて小網代に係留した。艇名は係留権引継ぎをスムースに進める為変更なしとし「はっちゃん」で申請したが手違いで『ハッチャー』になった。

アルページュは、ハーフトンカップのウィナーであり、1974年に太平洋横断シングルハンドレースで完走した名艇で、その美しいワイングラスセクションのライン図は、戸田孝昭氏の名著「線形と線図」にもお手本として取り上げられている。

卒業して約10年、家族の増えたメンバーも多く、活動はクルージング中心となった。とにかく夏休みになるとまず手の空いたものが下田まで回航する、そして下田をベースに新島、式根島或いは中木、雲見、仁科、田子など西伊豆に毎年クルージングを楽しんだ。1991年には念願の[千貫門]くぐりも記録した。(後輩には勧めません)

メンバーの子供にはこの艇育ちが多い。大澤美紀(ハッチャーと同じ1975年生れ)、大澤光正、金行美和、小田原慎、馬渡千波、馬渡志帆達で、彼らや彼女たち一家が現在は重要クルーメンバー兼介護ヘルパーとなっている。最近は孫の代も参加、年齢差60歳でKCCレースに参加している

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馬渡氏⑦

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1991年 西伊豆 千貫門くぐり         上下両方にワッチが必要

 

 

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2代目ハッチャー  デュフォー30 アルページュ馬渡氏⑩

ミスフランスのこんな船型です

 

馬渡氏⑪1978年ごろ

馬渡氏⑫  コクピットで宴会 1981年

 

 

アイランドパケット32

2003年、2代目『ハッチャー』もオーナー達も高齢化し、自分たちは若返れないが艇は若返り可能と代替えが検討された。そこで見つかったのが現在の3代目、米国製アイランドパケット32、1992年生れの中古艇であったが、値段も手ごろで、なんといっても居住性抜群!!! 風が無ければエンジン、のぼりは機帆走、泊まれば宴会という遊び方には最適ということで購入。セーリングパフォーマンスに不満の声がたまにあったりするが、なんといってもクルージングが楽で、皆齢を顧みずクルージングを楽しんでいる。

強風での居住性は抜群、他艇に比べかぶらない、ブローチングしない、リーフは一番最後、ビニトップ&ドジャーで日焼けしない、豪雨でも濡れないがウリですが、アメリカサイズの苦労も、メンスルのピークが高くにシャックルがつけられない、コックピットで反対側に足が届かない、キャビンで掴まるところが高く・遠く這い這い移動、冷蔵庫も奥まで手が届かないなど、など。

 

現Hatcherのクルーズ記録は、

2005年 下田・神津島・新島

2006年 五カ所・志摩ヨットハーバー 久々の遠州越え

2007年 下田・式根島・新島

2008年 下田・安良里・妻良・下田お祭り

2009年 新島・三宅島

2010年 式根島(吹き江・野伏)・三宅島・八丈島

馬渡氏⑬

 

八丈島 神湊港

馬渡氏⑭

街中に咲くブーゲンビリアが綺麗だった

2011年 大島(野増)・式根島・下田・伊東

2012年以降はメンバーが減ってしまったので自粛モード、でも2013年には鋸山登山と体力テストを行った。

 

馬渡氏⑮

ミスアメリカの血筋 Island Packet 32

 

今日のメンバー

グループ結成時のメンバーの内すでに4名(太田、小田原、金行デンチュウ、伊集院紘)、押しかけクルーの形山ラッコが先に川を渡って冥途クルーズに行ってしまったが、各家族も含めてにぎやかなメンバー構成になっている。

岩片卓夫(ほら吹きどんどん 英語塾の先生)・美冶子

大澤浩吉(マルコポーロ船主 昔チビタ今大澤P・おとうさん)・輝美・美紀(長女:岡田美紀=ねぶた)・光正(セール屋さん)・涼子・雄帆(孫 ジュニアセーラー、バレーダンサー)

浅枝 幹雄(956 クマゴロー)

井上詔三(183=イヤミせんせい、今でも大学の教授)

金行陽子・美和(福田美和=ハエトリーナ)・福田亨・りょう、ゆう(チャンチャンバラ兄弟、ラガーマン)

小田原和歌子(ワッコさん、元BAのチーフCA・慎(電通ヨット部)

馬渡健治(グズケン)・千波(長女、六角千波)・六角祐一(コンサルタント・ばいきんマン)・六角帆花(孫)・馬渡志帆(次女、エステティシャン)

須賀光一郎(昔はサンスケ、今スーさん シーボニアマンションオーナー)

大森孝成(昔からタロー、優秀なバウマン)

四元俊郎(押しかけクルーから現在メンバー、若干60歳、働き者、KYCお祭り委員長)

合計11ファミリー、総勢24名の大世帯です。KYC(小網代ヨットクラブ)夏まつり(今年2015年は、8月22日、にみんな集まります。

 

ハッチャーのレシピ

昔から艇内で食事を作り、泊まる習慣なので、食事のメニューも豊富です。

カルボナーラ丼、セロリジャコまぜご飯、トマトチャーハン、からすみスパゲティー、コールスロー、ブイヤベースなど、など

でも一番の絶品は「クサヤ納豆めし」につきます。このクサヤは新島の老舗「菊孫商店」新島本村3-1-2 04992-5-0052 のムロに限ります。

 

バミー族(Hatcherに集まる ウワバミのバミー女族)

どうゆうわけかバミー族が酒と料理のにおいを察し襲来します。夜行性、朝から焼酎、時折ウワバミ状態での返品に苦労します。

新福朋子(大澤美紀同級生・PUKU、バミー族長)

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