油壺の夜は更けて(80年・81年組合同セーリングに参加して)
1978年卒 森田栄一
6月28日、KCC80年組2名(岩崎・兼藤)と81年組6名(小玉・山分・毛利・二見・須山・村田)が、卒業以来初の合同セーリングを行いました。ゲストとして招かれました森田(78年組)から報告します。
今回の合同セーリングは、九州在住の毛利が東京の息子の様子見に上京したのを機会に81年組が集合。そこに80年組と私が押しかけました。
集合は前日27日14時三崎マリンです。80年組が共同で所有するPacific Boys2と、81年組二見が共同オーナーであるそよかぜを下架。当初予定していたセーリングはあっさり中止し、2艇を横抱きしてポンツーンに舫い、すぐに宴会開始。
写真は最前列がメインゲストの毛利、反時計回りで、二見・山分・兼藤・村田・須山・小玉・森田。
水産会社勤務の岩崎が築地からカツオ1.5匹持参。倉庫から横流しとの噂もあるが、本人曰く「ちゃんとお金は払っています」。そのカツオを川崎大師門前の蕎麦の名店「松月庵」を経営する須山が調理するという豪華な宴。夜間の騒音の取締りを警戒して油壺ヨットクラブの二松会長に0.5匹を差し入れる抜け目の無い岩崎でした。
調理する須山板長。カツオは実に旨かった。
写真は81年組を指導する80年卒の岩崎主将(デッキ上)。自分では動きません。
さて、今回のメインゲストは毛利、気分良く帰って頂く筈でしたが、美しい夕陽に感激し、夕陽に染まる油壺湾を撮影しようとして、あえなくi-phoneを落水。見ている方が気の毒な位、意気消沈していました。
まず夕陽に染まる美しい油壺湾をご覧下さい。
i-phone落水後の毛利(中央)、カメラを向けると余裕の表情を見せますが・・・。
虚ろな目が衝撃の大きさを物語っています。
とりあえず暗くなったので、i-phoneの救出は明朝の作業として「飲み」に専念。カツオの次は松月庵のカツ煮(卵も持参)と鴨うどん。もっとも何人かは翌日になると食べたのを覚えていませんでした。赤ワイン白ワイン合計6本、焼酎1本は明朝に空であること判明。ビールは1ケース。ゴミ捨て場に持っていく際、他艇のクルーが驚愕していました。我々も驚愕。平均年齢59歳のジジイ達が良く飲みました。大量の松月庵差し入れに感謝。翌05時からの女子サッカーを観戦したのは兼藤と山分だけでした。
翌日は7時過ぎ二見の奥様’あかね’さんがおにぎりを持参して参戦、テント下で朝食会。彼女は皆に追いつくため缶ビール2本一気飲みしていました。天晴!!!KCCの名誉OB会員にしたい所です。
一方、毛利は既に戦闘意欲ゼロ、皆が励まして薦めるが潜らず。Pacific Boys2のタモで海底をすくってみたが救出できず残念でした。毛利i-phoneは壺の泥となりました。
外は南4メートル程度で絶好のセーリング日和。とても快調。とはいえ、昨夜の疲労もありPacific Boys2は早々に湾内で昼寝とすることにしたら、ソヨカゼも後から入ってきて横抱き。往年のヨットマンも潮っけの欠片も無いことが判明しました。昼は松月庵差し入れのモツ煮込。殆どのメンバーがアルコールを拒否する中、岩崎と村田は懲りずにグビグビ飲っていました
流石に疲れて、14時過ぎに早々に上架しました。楽しかったがクタビレタ。
快走するPacific Boys2。
そよかぜの舵を握る二見共同オーナーと81年組。
最後方がKCC名誉OB会員(森田呼称)の二見夫人’あかね’さん。
朝ご飯、ご馳走様でした。