《 ハッチャー 》 1966年卒業メンバーを中心に上下3代
1966卒・馬渡健治
生い立ちから・・
バカンチェスキー グループの結成
1966年KCC卒業を中心に、上下3代でグループを作り、クルーザーを持とうじゃないかということを決めた。1970年、名古屋でバンデスタッド設計の23フィート合板艇を自作していた人(チタグループ)がハルを完成したところで製作を中止し譲渡したいという話が入ってきた。
「わたりにふね」ということで、鳥羽の作業場に現物を見に行ったところしっかりできていたので購入することとし、横浜の岡本造船に運びこみ、岡本造船の助けを借りながら、デッキ張り、FRPカバーリング、内装(ほとんどなにも無し)、艤装などを自分たちで行い約1年がかりで完成、1972年3月進水、「Buccantcheskii」と命名した。
バンデシュタッド23 BUCCANTCHESKII
進水式 1972.3月
船底FRPライニング後のパテ付、サンディング
[祝詞]をささげる183先生
このモデルは1963年のYachting Word誌の小型クルーザーOne of a Kind レガッタでも評価が高かった艇(通称バッカニア、現在に至っても新艇を建造するファンあり)で、スリム(7.3mx2.0m)な軽量艇でセールトリムに敏感に反応し、微風、強風、追い風で大型艇を抜き去ることもしばしば、しかし常に集中していないとスピードが落ちるので疲れることおびただしく、鳥羽レースでも途中までは絶好のポジションをキープしていたがそこまでといった具合で、レース成績はまあまあであった。
艇名のBaccantcheskiiは当時出現した水中翼船「バカンス号」、船種「バッカニア」をもじって「バカンチェスキー」とロシア語風に命名、みなさんからバカでチョンボでスキモノの「バカチョン」号と揶揄されました。
係留は諸磯、同時にKCC現役艇の係留権を獲得した。現在も諸磯にVaccantcheskiiとしてHatcher外郭仲間が係留。
メンバー:岩片(65年卒)、大澤、井上、小田原、金行、太田、馬渡、勅使河原(以上66年)、須賀、大森、中村(以上67年) 特別参加:伊集院紘
ハッチャー 購入 小網代へ
在日米国人MR. Richard L. Hatcherと知り合いになった小田原が、1972年5月Hatcher氏が所有し小網代に係留していたモーターボート(34フィート)「はっちゃん号」の共同オーナーとなり、Hatcher氏が帰国したことにより、小網代の係留権を継承した。
Hatcher氏所有モーターボート。いすゞのトラックエンジン100PS、クラッチ付。
Buccantcheskiiは面白い艇であったがメンバー全員が乗るには小さく、もっと楽な艇を求める声も強くなったので、1975年にDUFOR30「アルページュ」(東レがノックダウンで製造した艇)を購入し、モーターボートに代えて小網代に係留した。艇名は係留権引継ぎをスムースに進める為変更なしとし「はっちゃん」で申請したが手違いで『ハッチャー』になった。
アルページュは、ハーフトンカップのウィナーであり、1974年に太平洋横断シングルハンドレースで完走した名艇で、その美しいワイングラスセクションのライン図は、戸田孝昭氏の名著「線形と線図」にもお手本として取り上げられている。
卒業して約10年、家族の増えたメンバーも多く、活動はクルージング中心となった。とにかく夏休みになるとまず手の空いたものが下田まで回航する、そして下田をベースに新島、式根島或いは中木、雲見、仁科、田子など西伊豆に毎年クルージングを楽しんだ。1991年には念願の[千貫門]くぐりも記録した。(後輩には勧めません)
メンバーの子供にはこの艇育ちが多い。大澤美紀(ハッチャーと同じ1975年生れ)、大澤光正、金行美和、小田原慎、馬渡千波、馬渡志帆達で、彼らや彼女たち一家が現在は重要クルーメンバー兼介護ヘルパーとなっている。最近は孫の代も参加、年齢差60歳でKCCレースに参加している
1991年 西伊豆 千貫門くぐり 上下両方にワッチが必要
2代目ハッチャー デュフォー30 アルページュ
ミスフランスのこんな船型です
1978年ごろ
コクピットで宴会 1981年
アイランドパケット32
2003年、2代目『ハッチャー』もオーナー達も高齢化し、自分たちは若返れないが艇は若返り可能と代替えが検討された。そこで見つかったのが現在の3代目、米国製アイランドパケット32、1992年生れの中古艇であったが、値段も手ごろで、なんといっても居住性抜群!!! 風が無ければエンジン、のぼりは機帆走、泊まれば宴会という遊び方には最適ということで購入。セーリングパフォーマンスに不満の声がたまにあったりするが、なんといってもクルージングが楽で、皆齢を顧みずクルージングを楽しんでいる。
強風での居住性は抜群、他艇に比べかぶらない、ブローチングしない、リーフは一番最後、ビニトップ&ドジャーで日焼けしない、豪雨でも濡れないがウリですが、アメリカサイズの苦労も、メンスルのピークが高くにシャックルがつけられない、コックピットで反対側に足が届かない、キャビンで掴まるところが高く・遠く這い這い移動、冷蔵庫も奥まで手が届かないなど、など。
現Hatcherのクルーズ記録は、
2005年 下田・神津島・新島
2006年 五カ所・志摩ヨットハーバー 久々の遠州越え
2007年 下田・式根島・新島
2008年 下田・安良里・妻良・下田お祭り
2009年 新島・三宅島
2010年 式根島(吹き江・野伏)・三宅島・八丈島
八丈島 神湊港
街中に咲くブーゲンビリアが綺麗だった
2011年 大島(野増)・式根島・下田・伊東
2012年以降はメンバーが減ってしまったので自粛モード、でも2013年には鋸山登山と体力テストを行った。
ミスアメリカの血筋 Island Packet 32
今日のメンバー
グループ結成時のメンバーの内すでに4名(太田、小田原、金行デンチュウ、伊集院紘)、押しかけクルーの形山ラッコが先に川を渡って冥途クルーズに行ってしまったが、各家族も含めてにぎやかなメンバー構成になっている。
岩片卓夫(ほら吹きどんどん 英語塾の先生)・美冶子
大澤浩吉(マルコポーロ船主 昔チビタ今大澤P・おとうさん)・輝美・美紀(長女:岡田美紀=ねぶた)・光正(セール屋さん)・涼子・雄帆(孫 ジュニアセーラー、バレーダンサー)
浅枝 幹雄(956 クマゴロー)
井上詔三(183=イヤミせんせい、今でも大学の教授)
金行陽子・美和(福田美和=ハエトリーナ)・福田亨・りょう、ゆう(チャンチャンバラ兄弟、ラガーマン)
小田原和歌子(ワッコさん、元BAのチーフCA・慎(電通ヨット部)
馬渡健治(グズケン)・千波(長女、六角千波)・六角祐一(コンサルタント・ばいきんマン)・六角帆花(孫)・馬渡志帆(次女、エステティシャン)
須賀光一郎(昔はサンスケ、今スーさん シーボニアマンションオーナー)
大森孝成(昔からタロー、優秀なバウマン)
四元俊郎(押しかけクルーから現在メンバー、若干60歳、働き者、KYCお祭り委員長)
合計11ファミリー、総勢24名の大世帯です。KYC(小網代ヨットクラブ)夏まつり(今年2015年は、8月22日、にみんな集まります。
ハッチャーのレシピ
昔から艇内で食事を作り、泊まる習慣なので、食事のメニューも豊富です。
カルボナーラ丼、セロリジャコまぜご飯、トマトチャーハン、からすみスパゲティー、コールスロー、ブイヤベースなど、など
でも一番の絶品は「クサヤ納豆めし」につきます。このクサヤは新島の老舗「菊孫商店」新島本村3-1-2 04992-5-0052 のムロに限ります。
バミー族(Hatcherに集まる ウワバミのバミー女族)
どうゆうわけかバミー族が酒と料理のにおいを察し襲来します。夜行性、朝から焼酎、時折ウワバミ状態での返品に苦労します。
新福朋子(大澤美紀同級生・PUKU、バミー族長)