KCC for OB

慶応クルージングクラブOB会

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新企画Ⅱ OB同期紹介 第一弾《06年卒》!

06年卒 同期紹介           

                          2006年卒 金子直城

 

KCC 06年卒は当時の世代には珍しく、女子部員がいるところからスタートした。が、はじめ6人であったメンバーは諸般の都合により徐々に減り、結果残ったのは3名である。

2年の時にはホープ吉村を失い1つ下の代を穴あきにしてしまう。

が、その後OB、他大、先輩のサポートを受けながらなんとか方向を修正。

自分たち自身も途中で穴あけ期間があったりなかったりしながらなんとか支え合い卒業までこぎ着ける。4年を迎える時には、藤本を始め各世代にキーパーソンを擁しながら次の世代にタスキを渡す事ができた。

 

<氏名/学部/KCCでの役割>

金子直城/総合政策学部/主将・学連

須田侑子/環境情報学部/副将・艇体管理

飯田晶子/環境情報学部/会計・OB

 

現役時代。後列右から飯田、須田。最前列に金子。

06①

 

 

【金子直城】

KCC引退後は、元々やってみたかったボクシングジムに入り、卒業まで汗を流す。卒業後、愛知県の自動車メーカーに勤務。入社以来、生産管理部門で業務を行ってきたが、現場での業務がありながらも基本はデスクワーク。当時と比較すると、ボクシングで身体を絞った反動もあり、卒業時点より+15kg。メタボ化も待ったなしの状況である。最近はランニングを初めてダイエットに奮起しているが、逆にご飯がおいしくなり更に体重が増える悪循環の中で戦っている。

たまにヨットで海に出る夢を見ては現実に戻り、ゴルフバックを背負って家を出る、そんな日々。いつかまた海に出たいという気持ちをうっすら感じながら、地に足のついた日常の繰り返しが続いていく。

北海道での一コマ。光と陰、陰と陽、体重の増と減は表裏一体である。

金子氏

 

【須田侑子】

卒業後、政府系金融機関に就職し、金融システム調査・研究やリレーションシップマネジャー、経営企画調査、トレーディングを7年間に亘って経験した。その後、渡米し、コーチおよび営業として、コーチングファームに勤務。本年4月に帰国し、6月からは、外資系金融会社にて、海外投資ファンドのサービシングに携わっている。

現在の勤務地が、海の神様で知られる金刀比羅宮分社の敷地内にあるビル、と、海の御縁を感じている。ヨットは、KCCフェスタなど年一回乗れるか乗れないか…という年が続いているが、そのうち、海の傍に家を持つか、自分の船を持ちたいと思っている。

06③

 

【飯田晶子】

卒業後、大学院に進学。都市計画・まちづくりを学ぶ。現在は、慶應大学から国立大学に異動し、助教として研究を続ける。卒業後、ヨットに乗ることはめったになくなったが、沖縄県の八重山諸島やパラオ共和国での研究活動を通じて、海は今でも身近な存在である。研究の対象地として、海に囲まれた離島を選んだのは、大学時代ネオパトスで各地を巡った4年間の経験が影響していると感じる。

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パラオ共和国での調査の一コマ。左から二番目が飯田

 

 

新企画Ⅰ OB艇紹介 第一弾《ハッチャー》!                 

 《 ハッチャー 》 1966年卒業メンバーを中心に上下3代

                           1966卒・馬渡健治 

生い立ちから・・

バカンチェスキー グループの結成

1966年KCC卒業を中心に、上下3代でグループを作り、クルーザーを持とうじゃないかということを決めた。1970年、名古屋でバンデスタッド設計の23フィート合板艇を自作していた人(チタグループ)がハルを完成したところで製作を中止し譲渡したいという話が入ってきた。

「わたりにふね」ということで、鳥羽の作業場に現物を見に行ったところしっかりできていたので購入することとし、横浜の岡本造船に運びこみ、岡本造船の助けを借りながら、デッキ張り、FRPカバーリング、内装(ほとんどなにも無し)、艤装などを自分たちで行い約1年がかりで完成、1972年3月進水、「Buccantcheskii」と命名した。

馬渡氏①

バンデシュタッド23 BUCCANTCHESKII

 

 

馬渡氏② 

進水式 1972.3月

馬渡氏③

船底FRPライニング後のパテ付、サンディング

馬渡氏④

[祝詞]をささげる183先生

このモデルは1963年のYachting Word誌の小型クルーザーOne of a Kind レガッタでも評価が高かった艇(通称バッカニア、現在に至っても新艇を建造するファンあり)で、スリム(7.3mx2.0m)な軽量艇でセールトリムに敏感に反応し、微風、強風、追い風で大型艇を抜き去ることもしばしば、しかし常に集中していないとスピードが落ちるので疲れることおびただしく、鳥羽レースでも途中までは絶好のポジションをキープしていたがそこまでといった具合で、レース成績はまあまあであった。

艇名のBaccantcheskiiは当時出現した水中翼船「バカンス号」、船種「バッカニア」をもじって「バカンチェスキー」とロシア語風に命名、みなさんからバカでチョンボでスキモノの「バカチョン」号と揶揄されました。

 

係留は諸磯、同時にKCC現役艇の係留権を獲得した。現在も諸磯にVaccantcheskiiとしてHatcher外郭仲間が係留。

メンバー:岩片(65年卒)、大澤、井上、小田原、金行、太田、馬渡、勅使河原(以上66年)、須賀、大森、中村(以上67年) 特別参加:伊集院紘

 

 

ハッチャー 購入 小網代へ

在日米国人MR. Richard L. Hatcherと知り合いになった小田原が、1972年5月Hatcher氏が所有し小網代に係留していたモーターボート(34フィート)「はっちゃん号」の共同オーナーとなり、Hatcher氏が帰国したことにより、小網代の係留権を継承した。

馬渡氏⑤

Hatcher氏所有モーターボート。いすゞのトラックエンジン100PS、クラッチ付。

 

Buccantcheskiiは面白い艇であったがメンバー全員が乗るには小さく、もっと楽な艇を求める声も強くなったので、1975年にDUFOR30「アルページュ」(東レがノックダウンで製造した艇)を購入し、モーターボートに代えて小網代に係留した。艇名は係留権引継ぎをスムースに進める為変更なしとし「はっちゃん」で申請したが手違いで『ハッチャー』になった。

アルページュは、ハーフトンカップのウィナーであり、1974年に太平洋横断シングルハンドレースで完走した名艇で、その美しいワイングラスセクションのライン図は、戸田孝昭氏の名著「線形と線図」にもお手本として取り上げられている。

卒業して約10年、家族の増えたメンバーも多く、活動はクルージング中心となった。とにかく夏休みになるとまず手の空いたものが下田まで回航する、そして下田をベースに新島、式根島或いは中木、雲見、仁科、田子など西伊豆に毎年クルージングを楽しんだ。1991年には念願の[千貫門]くぐりも記録した。(後輩には勧めません)

メンバーの子供にはこの艇育ちが多い。大澤美紀(ハッチャーと同じ1975年生れ)、大澤光正、金行美和、小田原慎、馬渡千波、馬渡志帆達で、彼らや彼女たち一家が現在は重要クルーメンバー兼介護ヘルパーとなっている。最近は孫の代も参加、年齢差60歳でKCCレースに参加している

馬渡氏⑥

馬渡氏⑦

馬渡氏⑧

1991年 西伊豆 千貫門くぐり         上下両方にワッチが必要

 

 

馬渡氏⑨

2代目ハッチャー  デュフォー30 アルページュ馬渡氏⑩

ミスフランスのこんな船型です

 

馬渡氏⑪1978年ごろ

馬渡氏⑫  コクピットで宴会 1981年

 

 

アイランドパケット32

2003年、2代目『ハッチャー』もオーナー達も高齢化し、自分たちは若返れないが艇は若返り可能と代替えが検討された。そこで見つかったのが現在の3代目、米国製アイランドパケット32、1992年生れの中古艇であったが、値段も手ごろで、なんといっても居住性抜群!!! 風が無ければエンジン、のぼりは機帆走、泊まれば宴会という遊び方には最適ということで購入。セーリングパフォーマンスに不満の声がたまにあったりするが、なんといってもクルージングが楽で、皆齢を顧みずクルージングを楽しんでいる。

強風での居住性は抜群、他艇に比べかぶらない、ブローチングしない、リーフは一番最後、ビニトップ&ドジャーで日焼けしない、豪雨でも濡れないがウリですが、アメリカサイズの苦労も、メンスルのピークが高くにシャックルがつけられない、コックピットで反対側に足が届かない、キャビンで掴まるところが高く・遠く這い這い移動、冷蔵庫も奥まで手が届かないなど、など。

 

現Hatcherのクルーズ記録は、

2005年 下田・神津島・新島

2006年 五カ所・志摩ヨットハーバー 久々の遠州越え

2007年 下田・式根島・新島

2008年 下田・安良里・妻良・下田お祭り

2009年 新島・三宅島

2010年 式根島(吹き江・野伏)・三宅島・八丈島

馬渡氏⑬

 

八丈島 神湊港

馬渡氏⑭

街中に咲くブーゲンビリアが綺麗だった

2011年 大島(野増)・式根島・下田・伊東

2012年以降はメンバーが減ってしまったので自粛モード、でも2013年には鋸山登山と体力テストを行った。

 

馬渡氏⑮

ミスアメリカの血筋 Island Packet 32

 

今日のメンバー

グループ結成時のメンバーの内すでに4名(太田、小田原、金行デンチュウ、伊集院紘)、押しかけクルーの形山ラッコが先に川を渡って冥途クルーズに行ってしまったが、各家族も含めてにぎやかなメンバー構成になっている。

岩片卓夫(ほら吹きどんどん 英語塾の先生)・美冶子

大澤浩吉(マルコポーロ船主 昔チビタ今大澤P・おとうさん)・輝美・美紀(長女:岡田美紀=ねぶた)・光正(セール屋さん)・涼子・雄帆(孫 ジュニアセーラー、バレーダンサー)

浅枝 幹雄(956 クマゴロー)

井上詔三(183=イヤミせんせい、今でも大学の教授)

金行陽子・美和(福田美和=ハエトリーナ)・福田亨・りょう、ゆう(チャンチャンバラ兄弟、ラガーマン)

小田原和歌子(ワッコさん、元BAのチーフCA・慎(電通ヨット部)

馬渡健治(グズケン)・千波(長女、六角千波)・六角祐一(コンサルタント・ばいきんマン)・六角帆花(孫)・馬渡志帆(次女、エステティシャン)

須賀光一郎(昔はサンスケ、今スーさん シーボニアマンションオーナー)

大森孝成(昔からタロー、優秀なバウマン)

四元俊郎(押しかけクルーから現在メンバー、若干60歳、働き者、KYCお祭り委員長)

合計11ファミリー、総勢24名の大世帯です。KYC(小網代ヨットクラブ)夏まつり(今年2015年は、8月22日、にみんな集まります。

 

ハッチャーのレシピ

昔から艇内で食事を作り、泊まる習慣なので、食事のメニューも豊富です。

カルボナーラ丼、セロリジャコまぜご飯、トマトチャーハン、からすみスパゲティー、コールスロー、ブイヤベースなど、など

でも一番の絶品は「クサヤ納豆めし」につきます。このクサヤは新島の老舗「菊孫商店」新島本村3-1-2 04992-5-0052 のムロに限ります。

 

バミー族(Hatcherに集まる ウワバミのバミー女族)

どうゆうわけかバミー族が酒と料理のにおいを察し襲来します。夜行性、朝から焼酎、時折ウワバミ状態での返品に苦労します。

新福朋子(大澤美紀同級生・PUKU、バミー族長)

OB会費 維持基金について

固定ページ 『会計より』 に会費についてお知らせしています

ご一読の上 何卒よろしくお願い致します

マルコポーロ号 夕涼みクルーズへのお誘い

 

 

ここ数年厳しい暑さが増しているように感じる夏ですが

皆さまにはお健やかにお過ごしでしょうか

さて その名残も東京湾の夕暮れに 心地よいひとときへと変えてくれる

マルコポーロ 夕涼みクルージングを企画いたしました

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東京湾の夜景を楽しみながら 現役の夏期クルージング報告を聞きながら

和やかな語らいの時間をお楽しみ戴けるよう準備を致しております

どうぞお誘い合わせの上 奮ってご参加下さいますよう ここにご案内いたします

=66年卒OB大澤さんのご厚意によりマルコポーロ・洋風屋形船(120人乗り)を破格の費用で利用させて戴きます=

ナイト4

 

日時:9月12日(土) 17:30 受付開始 17:45 乗船

18:00 出航 19:30 帰港予定

晴海朝潮桟橋より出発 *「勝どき駅」A3出口より徒歩4分 黎明橋公園脇

http://www.amedio.bz/accessmap.html

*桟橋への着岸時間が制限されておりますので時間厳守でよろしくお願いいたします

*当日は現役の夏期活動報告を船上にて行います。

 

会費:男性¥7000、女性¥3000、大学生¥3000、高校生以下無料

*現役には当日の手伝い等をさせますので無料にて招待します。

素敵なKCCノベルティグッズの販売もします ご期待下さい!

 

申し込み方法 

改めてお送りする ご案内メールの中にある 「申し込み先」までお願い致します

 

ナイト2

油壺の夜は更けて (80年・81年組合同セーリングに参加して)

 

油壺の夜は更けて(80年・81年組合同セーリングに参加して)

1978年卒 森田栄一

 

6月28日、KCC80年組2名(岩崎・兼藤)と81年組6名(小玉・山分・毛利・二見・須山・村田)が、卒業以来初の合同セーリングを行いました。ゲストとして招かれました森田(78年組)から報告します。

 

今回の合同セーリングは、九州在住の毛利が東京の息子の様子見に上京したのを機会に81年組が集合。そこに80年組と私が押しかけました。

 

集合は前日27日14時三崎マリンです。80年組が共同で所有するPacific Boys2と、81年組二見が共同オーナーであるそよかぜを下架。当初予定していたセーリングはあっさり中止し、2艇を横抱きしてポンツーンに舫い、すぐに宴会開始。

 

写真は最前列がメインゲストの毛利、反時計回りで、二見・山分・兼藤・村田・須山・小玉・森田。

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水産会社勤務の岩崎が築地からカツオ1.5匹持参。倉庫から横流しとの噂もあるが、本人曰く「ちゃんとお金は払っています」。そのカツオを川崎大師門前の蕎麦の名店「松月庵」を経営する須山が調理するという豪華な宴。夜間の騒音の取締りを警戒して油壺ヨットクラブの二松会長に0.5匹を差し入れる抜け目の無い岩崎でした。

 

調理する須山板長。カツオは実に旨かった。

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写真は81年組を指導する80年卒の岩崎主将(デッキ上)。自分では動きません。

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さて、今回のメインゲストは毛利、気分良く帰って頂く筈でしたが、美しい夕陽に感激し、夕陽に染まる油壺湾を撮影しようとして、あえなくi-phoneを落水。見ている方が気の毒な位、意気消沈していました。

 

まず夕陽に染まる美しい油壺湾をご覧下さい。

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i-phone落水後の毛利(中央)、カメラを向けると余裕の表情を見せますが・・・。

虚ろな目が衝撃の大きさを物語っています。

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とりあえず暗くなったので、i-phoneの救出は明朝の作業として「飲み」に専念。カツオの次は松月庵のカツ煮(卵も持参)と鴨うどん。もっとも何人かは翌日になると食べたのを覚えていませんでした。赤ワイン白ワイン合計6本、焼酎1本は明朝に空であること判明。ビールは1ケース。ゴミ捨て場に持っていく際、他艇のクルーが驚愕していました。我々も驚愕。平均年齢59歳のジジイ達が良く飲みました。大量の松月庵差し入れに感謝。翌05時からの女子サッカーを観戦したのは兼藤と山分だけでした。

 

翌日は7時過ぎ二見の奥様’あかね’さんがおにぎりを持参して参戦、テント下で朝食会。彼女は皆に追いつくため缶ビール2本一気飲みしていました。天晴!!!KCCの名誉OB会員にしたい所です。

 

一方、毛利は既に戦闘意欲ゼロ、皆が励まして薦めるが潜らず。Pacific Boys2のタモで海底をすくってみたが救出できず残念でした。毛利i-phoneは壺の泥となりました。

 

外は南4メートル程度で絶好のセーリング日和。とても快調。とはいえ、昨夜の疲労もありPacific Boys2は早々に湾内で昼寝とすることにしたら、ソヨカゼも後から入ってきて横抱き。往年のヨットマンも潮っけの欠片も無いことが判明しました。昼は松月庵差し入れのモツ煮込。殆どのメンバーがアルコールを拒否する中、岩崎と村田は懲りずにグビグビ飲っていました

 

流石に疲れて、14時過ぎに早々に上架しました。楽しかったがクタビレタ。

 

快走するPacific Boys2。

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そよかぜの舵を握る二見共同オーナーと81年組。

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最後方がKCC名誉OB会員(森田呼称)の二見夫人’あかね’さん。

朝ご飯、ご馳走様でした。

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